フランスライフスタイル  パリの水の歴史
パリの朝は水の香り
 
早朝のパリはどんな匂いがするのでしょう?カフェから流れるカフェ・オ・レの香り?それとも香ばしいバゲットやクロワッサンの甘い香りでしょうか?実は、歩いていて一番に感じるのは、水の香り。それは文字通り、道路に水があふれているためです。車道と歩道の間にある溝から水があふれ、それが川となって流れる風景はパリならでは。これは水道管が壊れているのではなく、清掃用に使われる飲料水とは別の水道から流れる生活用水。この水道は元々は飲み水として使われていましたが、オスマンによる大規模な水道網ができた結果使われなくなり、現在は清掃や消化の「非飲料水」として活用されています。
 
今ではアパルトマンで蛇口をひねれば出てくるほど豊富なパリの水。しかし現在のように家庭用水が確保されるまでには、驚くほどの時間がかかっていました。パリは100年ほど前の19世紀まで、文明都市とは思えない水事情の中で生活していたのです。その歴史を見てみましょう。 
 
19世紀までセーヌの水を飲んでいたパリジャン
 
かつてパリの人々は、セーヌ河の水を飲んでいました。19世紀末まで下水道さえなかったパリでは、各家庭で出された汚物は道路に放り出され、その汚物が雨によって流され、セーヌへと注がれていました。その汚物の入り混じったセーヌの水をくみ上げ、再び口に運ぶのだから、パリの衛生事情がどれほど劣悪だったかが想像できます。パリは数キロ先からでも臭うと言われた「鼻の曲がる都」だったのです。飲料水だけでなく、入浴施設の少なかったパリでは、身体を洗うのにもセーヌの水を使っていました。1832年に起きたコレラ流行も、こうしたパリの劣悪な衛生環境で起こるべくして起こったものといえます。 
 
パリにできた初期の水道とセーヌ用ポンプ
 
とはいえ、昔から水道は存在していました。パリ近郊から水を市内へ引き入れ、飲み水として使われていましたが、その水量はごくわずかで、一部の人にしか行きわたりませんでした(おそらく貴族などの上流階級でしょう)。ベルヴィルの丘に残る石造りの丸屋根の小屋は水道の名残ですし、1628年にはマリー・ド・メディシスの水道が完成しました。パリ市民に開放されていた井戸にはバケツを持ったパリジャンが集まり、毎日長蛇の列を作っていました。中には水の入った重いバケツをアパルトマンの上階まで運ぶ水汲み業者も現れ、多くのパリ市民が利用していました。しかし水汲み業者が汲んでくる水は井戸の水ではなくほとんどがセーヌの汚い水で、それでもパリの人たちは普通に飲んでいました。1608年にはアンリ4世がポンヌフの隣にサマリテーヌ・ポンプ(サマリア人のポンプ)を設置し、セーヌの水の質を少しでも改善しようとしました。1672年にはノートルダム橋のポンプもできましたが、セーヌの水はやはり胃を刺激するほど質が悪く、初めて飲んだ人は必ず下痢を起こすと言われていました。 
 
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オスマンによる大規模な水道事業
 
こうしたパリのひどい水事情は19世紀の半ばまで変化はありませんでした。19世紀後半、セーヌの汚れた水を飲んでいたパリの衛生環境をどうにかしたいと考えていたナポレオン3世は、パリ北東にあったウルク川をパリ市内に移し、ラ・ヴィレット貯水場を建設しました。オスマンが知事になったときには、すでにセーヌ河と並ぶ重要な水の供給源となっていました。しかしウルク川の水質もよくはなく、その後オスマンによってさらに北のデュイス川から長大な水道によって水が引かれることになります。蒸気ポンプによってセーヌの水を汲み続ける「セーヌ河信仰派」の強い反対に遭いながらも、オスマンの水道はついに完成します。全長173キロの水道はパリ郊外とモンスリの貯水場とを結びました。採石所跡に造られたこの貯水場は現在も利用されています。古代ローマ帝国の水道橋のように遠方から水を引くことで、パリの水はようやく近代文明に追いついたのです。
 
現在のパリの水事情
 
現在パリの水道は浄水技術の進歩により、アヴル川・ロワン川・リュナン川・マルヌ川・セーヌ川の上流など、様々な地域の水によって構成されています。セーヌの汚い水を飲む劣悪な環境が長く続いてきたパリの水事情は、19世紀の半ばになってようやく改善へと動き出し、オスマンによって確立されていきました。今ではパリのどこにいても水が飲めますし、路上でもヴァラス給水泉という無料の水飲み場があります。エヴィアンやヴィッテルなどのパリのミネラルウォーターもカフェやスーパーで売られています。目が覚めたパリの朝、道路に流れる水を見て感じるのは、そんな水の長い歴史と新しい新鮮なパリの一日の予感なのです。 
東京出身。慶應義塾大学文学部卒。 大学時代に写真撮影を始める。2007年、パリに一年間滞在して写真を制作。 以後毎年パリへ出かけ、変化し続けるパリと変化しないパリを撮り続けている。 他にパリを舞台にした小説を書いている。

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