映画  VIVA MARIA ! 『ビバ!マリア』
16/09/201707:23 Yusuke Kenmotsu
歌とダンスと機関銃
 
1965年のルイ・マル監督作品。彼は『死刑台のエレベーター(1957)』で長編劇映画デビューを果たす。きちんとした映画制作会社ではなく自己資金で制作したり、撮影は名手アンリ・ドカエによる手持ちカメラだったり、劇中の音楽にマイルス・デイヴィスの即興トランペットを採用したりと、革新的な映画作りで世界に衝撃を与えた。

『死刑台のエレベーター』のもう一つの革新性はジャンヌ・モローその人だろう。この作品で彼女が演じたフロランスという役の、野心的でありながら憂いを帯びた演技は「女優」という概念そのものを少なからず更新しなければならないほどであった。それまでの女優は純情可憐であるとかセクシーであるといった類型的なイメージに基づいた演技が求められていた。しかしジャンヌ・モローによる、内面の苦悩やどうしようもなさを体現するような演技メソッドは、演技派女優という新しい地平を切り開くようなであった。

 
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『ビバ!マリア』はそんなジャンヌ・モローとルイ・マル監督の4度目のコンビ作である。もう1人のヒロインであるブリジット・バルドーは『私生活(1962)』のヒロインであり、後にもう1度コンビを組むことになるので、全くタイプの違うルイ・マル的ヒロインの夢の競演と言えるだろう。

冒頭のアイルランドのシーンでは、お手玉かボール遊びをするような無邪気さで、幼いマリア1は父のところへ導火線を転がしていき爆破テロのお手伝いをする。数年後のロンドンでも、父から渡された籠を持って警察署に入り、差し入れでも渡してきたかのような素知らぬ顔で爆破する。さらに時が経ち大人になったマリア1(ブリジット・バルドー)は相変わらず父とジブラルタルの海で船舶を爆破し、中央アメリカに渡る。ここまで台詞がなくサイレント映画のように画の連なりで各地の爆破テロを見せていたのだが、初めてマリア1は叫ぶことになる。父が橋に爆弾を仕掛けている最中に憲兵に見つかってしまい、撃ち殺されてしまうのだ。川の中で起爆のスタンバイをしていたマリア1は涙を流しながら父の亡骸や憲兵ごと橋を爆破し任務を完遂する。

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父を亡くしたマリア1は中南米の某国で旅芸人の一座と出会う。そこの花形であるマリア2(ジャンヌ・モロー)はコンビを組んでいた相方が恋に破れて自殺してしまったため、相手役を探していた。そこでマリア1を誘ってマリア&マリアとして売り出し、歌とダンスのショーで各地を巡ることになる。

はじめマリア1は見よう見まねでぎこちないダンスをしていたが、偶然衣装の一部が破れてしまったことで、一枚脱ぐと客席から歓声が上がる。気をよくしたマリア1は1枚、また1枚と脱いでいきどんどん肌の露出が大きくなっていく。当時のセックスシンボルであったバルドーの面目躍如といったお色気シーンなのだが、面白いのはそれに負けじとマリア2のジャンヌ・モローも同じだけ脱いで対抗するところだ。そうなると伴奏をしている楽団のトロンボーン奏者はトロンボーンのスライドを伸ばして衣装を回収するために音を大きく外したり、指揮者は指揮を忘れるほど2人のマリアを見入ってしまい無音になってしまったりとてんやわんやの可笑しさだ。
 
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この作品にはお色気コメディ的要素が当然あるのだけれど、本筋(!?)は2人が革命軍に加担して独裁政権を打ち破ることである。シネマスコープのワイドスクリーンに広がる荒野で、バルドーが機関銃をぶっ放す勇猛さは忘れがたい。
本作と同じように外国との共同出資で作られたルイ・マルの『パリの大泥棒(1967)』は本作とは全く毛色の違う犯罪サスペンスであるが、『ビバ!マリア』が陽なら『パリの大泥棒』は陰といった姉妹編ともいえる作品なので合わせての観賞をお薦めしたい。
 

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1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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