映画  La peau douce 『柔らかい肌』
11/06/201809:39 Yusuke Kenmotsu
トリュフォーが忘れたい作品
 
1964年のフランソワ・トリュフォー監督作品。本作は彼にとって長編4作目である。前作『突然炎のごとく(1962)』で世界的な成功を収めたトリュフォーであったが、ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌの姿を、フェミニズムの観点で語られ称賛されることに違和感を覚えていた。そういった絶賛へのトリュフォーらしい意地悪な回答が『柔らかい肌』である。

次作『華氏451(1966)』がイギリスの資本で撮られることになり、その準備に時間がかかってしまうということで、先に『柔らかい肌』が撮影されることになった。そのため低予算で短期間の撮影が余儀なくされた本作は、リスボンの場面もほとんどはフランス国内で撮られている。

本作は基になった事件が2つある。1つはジュネーブの50代の弁護士ピエール・ジャクーが若い女性と不倫関係になっていて、その女性の新しい恋人の父親を殺してしまうという「ジャクー事件」、もう1つはニコル・ジェラールという女性がパリのレストランで夫を猟銃2発で撃ち殺すという「ニコル・ジェラール事件」である。3面記事的なこの2つの事件を基にした本作『柔らかい肌』は確かに『突然炎のごとく』のような甘美さなどない、厳しいタッチの映画になっている。その厳しさゆえにお披露目されたカンヌ映画祭では、口笛や罵声が飛び交い、劇場公開されても観客からそっぽを向かれてしまう。後に監督自身も思い出したくないと語るほどに呪われた映画となったのが『柔らかい肌』である。
 
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オープニングは男女と思われる手の大写しで始まる。指を絡めあい、女の指が男の指の結婚指輪を弄ぶように撫でる官能的なタイトルバックは、燃え上がる男女を想起させながら、一方で悲劇の到来を感じさせるような不穏さを孕んでいる。

有名な文芸評論家である44歳のピエール(ジャン・ドザイ)は講演に向かうリスボン行きの機内で22歳の客室乗務員ニコル(フランソワーズ・ドルレアック)に出会う。客席の向こう側でカーテンを引いてニコルは靴をハイヒールに履き替えているのだけれど、ちょうど足元だけがピエールから艶めかしく見えている。女性の足へのフェティシズムはトリュフォー作品で頻出するテーマで、本作ではピエールとニコルがベッドで愛を交わすといった場面でも、ピエールが優しく足を撫でながらハイヒールを抜き取り、そっとスカートをめくってガーターベルトを外し、ゆっくりとストッキングを脱がせていくという、足中心の官能的な名場面がある。
 
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妻子があり本来不倫に走るようなタイプではないピエールだが、リスボンでニコルに偶然再会してしまいブレーキが掛けられなくなってしまう。ニコルと同じホテルに泊まっていたピエールはホテルのフロントで彼女が副操縦士と一緒にいるエレベーターに乗り合わせる。これ以上ないほど細かくカットを割り、それぞれの視線と上昇していくエレベーターの回数を映していく。2階で副操縦士が降りたあと、両手に荷物を抱えていたニコルは荷物を落としてしまい、部屋の鍵も床に落ちる。ピエールは床に目をやり拾ってあげる。鍵についていた部屋の番号は「813」。トリュフォー映画で頻出する数字だ。エレベーターが8階につくとニコルは自分の部屋へ帰っていく。エレベーターは下降し3階へ。このときはカットを割らずに8階から3階へ階数表示をずっと映している。ピエールは3階の自室へ帰っていく。

ここで物語として面白いのは、ピエールは部屋が3階であるのに階のボタンを押さず、ニコルの階を確認するところだ。そればかりか、鍵を見て部屋番号を覚え、直後に部屋に電話をして深みにはまっていく。

そして演出として面白いのは、副操縦士が降りた後、2人になり表情、視線、階数、物などを細かく映しながら上昇していくエレベーターの時間のデタラメさだろう。昼間にあったとはいえかける言葉のないピエールのもじもじとしたどっちつかずの態度を、エレベーターという限定された空間の中で時間を微妙に引き延ばすことによって強調させている。ヒッチコックを師と仰ぐトリュフォーはヒッチコックの「サスペンスの法則とは、時間と空間を操ることだ」という教訓を生かしながら、下降するエレベーターを1カットで撮ることによって、上昇の際のデタラメな時間の種明かしをしている。

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この作品は基になった事件のようなラストを迎えるのだけれど、そこへ至る時間と空間のサスペンス演出も素晴らしい。ピエールが妻と和解するためにレストランから家に電話しようとする。電話ボックスには先客がいて、彼はいらいらしながら待っている。一方妻はレインコートを着て、猟銃を手にして出かけようとしている。やっと電話がつながると家政婦が出て「奥様はたった今お出かけになりました」と言う。ピエールが階段を探すように言うと「階段にはお見えになりません」、まだ外にいるのではと窓から外を見るように言うと「奥様の車がちょうど通りを曲がっていきました」というようにその都度受話器のところまで戻ってくる時間のじれったさは、ピエールにとってそのまま死へのカウントダウンになっている。

そのほかにもピエールがズボンよりもスカートが好きだと言ったことから、ガソリンスタンドで給油中に物陰でサッと着替えるニコラの愛らしい場面があったり、予算節約のため映画館のシーンの客席を映すところで前作『二十歳の恋(1962)』のフィルムをそのまま使っているので、ジャン=ピエール・レオーが映ってしまっているといったファン必見の場面があったりと、ただ失敗作という一言で片づけるにはあまりに愛おしい作品である。
1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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