映画  SIMON ET THÉODORE 『シモンとテオドール』
07/08/201910:51 Yusuke Kenmotsu
危うげな2人
 
2017年のミカエル・ブーフ監督作品。彼の長編第1作は『Let My People Go!(2011)』という作品で、ユダヤ人コミュニティに暮らすゲイ青年が巻き起こすドタバタを描いたコメディであった。青年の部屋には『ロシュフォール恋人たち(1967)』など数多くの映画のポスターが貼ってあったり、青年が見つめるロミー・シュナイダーの写真がゆっくりと彼が愛する男性の顔に変化したりと、初監督作らしく映画愛のナイーヴな発露が見られる作品であった。

 
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『シモンとテオドール』はミカエル・ブーフ監督にとって長編2作目である。1作目同様ユダヤ人が出てくるのだが、本作ではラビが登場する。しかも女性のラビが劇映画の登場人物にいるというのはかなり異例で、それだけでも興味深いことである。自らは無神論者だと語る監督だが、実際に女性のラビに会いリサーチして生まれた人物像は本作の注目ポイントの一つだろう。

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本作の主人公は題名の通りシモン(フェリックス・モアティ)とテオドール(ニルス・オルセン=ジラール)なのだが、その間にいるのがラビのリヴカ(メラニー・ベルニエ)だ。医大を卒業しながらも精神に問題を抱えているシモンは精神病院に入院していた。彼は病院から出ると妊娠8か月の妻リヴカの元に向かう。その前にまだ生まれてもいない子供へのプレゼントを探しにおもちゃ屋さんに行き、ぬいぐるみなどを物色しながら店員に「自分をここで採用しないか?」と真剣ともジョークともつかぬ面持ちで話しはじめる。さんざんぬいぐるみを選びながらも結局はなにも買わずに出ていく様子で、彼の精神が未だ不安定なのは察しがつくだろう。

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一方13歳のテオドールはユダヤ教の成人式のような儀式であるバル・ミツバーを行おうというところで突然機嫌を損ねてラビのリヴカのもとから飛び出してしまう。入れ違うようにリヴカのところに帰ってきたシモンは、病気は回復し自分は父親になるのに相応しい男であるとアピールするかのようにテオドールを追いかけていく。路上でシモンはテオドールを捕まえる。初めは緊張感が漂っていたものの、似通った精神構造のためか次第に理解し合い、冬のパリの一夜を共に彷徨うことになる。お金も持たず精神的に不安定な2人の危うげなこの旅において、シモンは父親になるという自覚を、テオドールは父親という存在を疑似的に相手から得ようとしている。もちろん満たされるものもあれば満たされないものもあるのだけれど、彼らは自身の弱点を受け入れ、自分を愛そうとし始める。

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本作では画面のサイズがワイドではなく正方形に近いスタンダードサイズが採用されている。これによって2人の人物が画面に収まる場合、互いに触れ合える距離にいることになる。この距離になった時に人は赤の他人であっても親密さを覚えることだろう。実際、息子が帰ってこず怒り心頭であったテオドールの母はリヴカに問いただすのだが、ひとたびリヴカが産気づくと彼女に寄り添い病院まで同行する。シモンとテオドールの間に起こった関係の変化と同様のことがここでも起こっているのだ。

この映画では人が誰かを求める、誰かに求められるという関係性がリヴカを中心として円のように描かれている。その円がリヴカの子供の誕生で少し広がりを見せて幕を閉じる本作は幸福な映画と言っていいだろう。
1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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