映画  JE NE SUIS PAS LA POUR ÊTRE AIME 『愛されるために、ここにいる』
26/02/202011:49 Yusuke Kenmotsu
タンゴ教室の恋
 
2005年のステファヌ・ブリゼ監督作品。短編の監督や役者として活躍しながら1999年に『Le Blue des villas』で長編監督デビューを果たした彼にとって『愛されるために、ここにいる』は2作目である。フランスでは小規模公開ながら、本作での大人の恋愛模様が話題を呼び半年以上のロングランを記録した。主演男賞、主演女優賞、助演男優賞の3つの演技部門でセザール賞にノミネートされていえるのも本作の特徴だろう。
 
Je_ne_suis_pas_la_pour_etre_aime_TV5MONDEApac_1.jpg

50歳を超えた執行官のジャン=クロード(パトリス・シェネ)は借金などが払えない人に裁判所からの通告を届け、それでも払えない人には立ち退いてもらう。学生時代は優秀なテニス選手だった彼も、現在は運動不足で仕事の際にアパートの階段を上がるだけでも息を切らせてしまう。一応病院に行き診断を受けると、医師から軽い運動を勧められる。普段仕事では感情を押し殺し、時には貧しい人に非情な対応も見せるジャン=クロードは彼のオフィスの窓から見える向かいのビルのタンゴ教室が気になっていた。情熱的なダンスを踊っている人たちをいつも遠目に見ていた彼は医師の言葉を契機にタンゴ教室に通うようになる。

タンゴ教室でジャン=クロードは30代の女性フランソワーズ(アンヌ・コンシニ)と出会う。レッスン中フランソワーズがジャン=クロードに視線を向けているが彼は気付いていない。どうやら幼いころに世話になったことがあるということでレッスン後彼女の方から声を掛ける。彼女がレッスンに通うのは結婚式でタンゴを披露するためだ。高校の指導員をしている彼女には元教師で小説家を目指す婚約者がいる。婚約者と一緒にレッスンに通うはずが、毎回婚約者が執筆を理由に休むため、彼女は一人で来ていた。毎回ダンスをしたり話をしたりしていくうちに次第に接近していくジャン=クロードとフランソワーズ。執筆で手いっぱいの婚約者に満たされないフランソワーズはジャン=クロードに婚約者の事を話していなかった。そうとは知らずフランソワーズの気を引くため香水をプレゼントするジャン=クロードだったが、タンゴ教室の仲間からフランソワーズに婚約者がいると聞き、自分は弄ばれたと感じ激怒する。彼女と会うのを避け、教室に行くのをやめてしまう。

Je_ne_suis_pas_la_pour_etre_aime_TV5MONDEApac_2.jpg

そのころ老人ホームにいてジャン=クロードが週に一回見舞っていた父親(ジョルジュ・ウィルソン)が死ぬ。偏屈でジャン=クロードが来ても文句ばかり言っていた父親だが、ジャン=クロードが帰る時は毎回窓から車が見えなくなるまで視線を送っていた。
 
この映画は視線の映画だ。感情や情熱を取り戻したいジャン=クロードがダンス教室へ向ける視線、婚約者に不満のフランソワーズが昔世話になったジャン=クロードに向ける視線、愛情をうまく表現できない父親がジャン=クロードに向ける視線など一方通行ではあるものの想いの乗った視線というものが本作では非常に効果的に使われている。

Je_ne_suis_pas_la_pour_etre_aime_TV5MONDEApac_3.jpg

この作品は男女のキスが1回ある程度で性的な表現は全くないと言っていいくらいだ。しかし観たあとはもっと濃厚なラブシーンがあったような気にさえなる。それはもちろん2人で踊るタンゴによるもので、最初はためらいがちな2人だが親密さが増すと手を回す位置が深くなるといった踊り方の変化も素晴らしい。ラストのダンスについてもそれまでとどう違うかを考えながら観ると、それなりに答えが出る作りになっている。
1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

おすすめ

 

おすすめ

 

おすすめ