04/06/201510:01 三上功
パリの光の象徴、街灯の歴史
 
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300年以上前、光の都は闇に包まれていた
 
パリのことを「光の都」(Ville Lumiere)と呼びます。しかし17世紀後半まで、パリの夜はまったくの闇に包まれていました。皆夜になると家に閉じこもり、表を歩くのは夜警と犯罪者くらいだったといいます。闇の中にある光といえば、夜警が巡回に使う松明くらい。 街灯や広告などはもちろんなく、家の中にある明かりでさえ木片を燃やした炎や樹脂ロウソクの灯りのみ。何も持たずに夜の町を出歩くことはもってのほかという時代でした。外出時には提灯を持っていくか、松明をもった人夫を雇わねばなりませんでした。
 

光の都パリの誕生
 
パリの夜に光が現れたのは17世紀後半。1667年、太陽王ルイ14世によって街路照明が本格的に行われ始めたときからです。これはパリの初代警視総監ガブリエル・ニコラ・ド・ラ・レイニの指揮のもとに始まりました。夜が闇に包まれていると犯罪が起きやすいため街を明るく見やすくしようというものでしたが、これには市民の暴動を監視する目的もありました。 最初の外灯はパリにある912の通りに計2736本灯されましたが、それはロウソクが1本入っただけのランタン(ランテルヌ灯)でした。しかし当時の闇に包まれたパリにとって、ロウソクだけでも明るく、ヨーロッパ各国からの外国人旅行者にも人気でした。 「光の都パリ」の誕生です。
 

闇に葬られる死体。道先案内人の活躍
 
パリ最初の光はどのようなものだったのでしょうか。それは地上約4メートルのところに約30メートルおきにロープによって吊るされました。しかしロウソクの光は風に弱く、消えやすいの難点でした。しかも18世紀末までの100年以上の間、毎日外灯が点くことはなく、多くても年に9か月でした。特に月夜の晩には月明かりがあるから不要とされ、不便であったといわれています。そこで活躍するのはランタンを持った道先案内人でした。彼に銅貨を渡せば、すぐに目的地まで明かりを照らして誘導してくれました。辻馬車も呼んでくれたといいます。暗闇では金を払ってでも、道先案内人を雇ったほうが得策だったのです。というのも18世紀当時のパリの治安は悪く、1730年代にもセーヌ川から毎年100体以上もの身元不明の死体が上がっていたといわれています。暗く、風で消えやすいという欠点があったにも関わらず、ロウソクの光は100年間もパリの夜を照らし続けました。(100年間この明かりで通したフランス人のものぐさぶりはすごいですね)
 

オイルランプの登場
 
ロウソクに代わる光が現れたのは約100年後。1763年に、新しい外灯のアイディアコンクールが開かれ、オイルランプ(レヴェルベール灯)が採用されることになりました。これは半球状の反射鏡によって光を下に反射させるもので、ロウソクより格段に明るくなり、点灯作業もずいぶん楽になりましたが、ずっと見ていると目を傷めたといいます。しかしオイルランプにパリの光が変わってからは、治安もだいぶ改善されました。そのため夜中の1時2時になっても出歩く人が増えたといわれています。夜は夜警と犯罪者だけでなく、街を楽しむ人のためのものになっていきました。
 

権力の象徴とされたオイルランプ
 
しかし外灯が多くなり明るさが増しても、いったん小さな路地に入れば光の届かない闇の世界がたくさんありました。そのような暗い街路では、まだまだ犯罪も多く、やはり道先案内人が必要でした。レヴェルベール灯はときにパリを監視する権力の象徴とみなされ、いったん暴動が起こると真っ先に破壊されました。ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」にもその光を巧みに扱った描写が出てきます。
 
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ガス灯の登場
 
レヴェルベール灯は大革命やナポレオン帝政を経て、1830年ころまでパリの町を照らし続けました。そしてついに1830年代に、パリの光に革命が起きます。ガス灯の登場です。その明るさは前のレヴェルベール灯に比べて格段に勝っていました。19世紀中頃の第二帝政期には、劇場街グランブールヴァールで、ガス灯はおおいに活躍しました。すでにパリの繁華街はパレ・ロワイヤルからグランブールヴァールへ移っていた頃です。そしてこの頃からボードレールような夜の孤独な散策者が現れ、多くの詩人や散策好きがそぞろ歩きを楽しむようになります。
 
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現代パリのイメージを作ったガス灯
 
そしてパリの景観においても、ここで大きな変化が起こります。ガス灯になって初めて、灯柱が登場したのです。つまり今のパリのイメージそのものになっているあの灯柱は、ガス灯によって初めて街路に姿を現しました。それまでのレヴェルベール灯はエネルギー源が油だったので、点灯夫が給油しにやってくる必要があったのですが、ガス灯になってからはガス工場からガスを直接パイプで運ぶ構造になったため、地面から生える灯柱が必要になったからです。そしてこの灯柱のデザインは当時から現在に至るまでほとんど変わっていません。日本でいえば江戸時代からデザインが変わっていないことになります。これは灯柱の製造業者は150年間変わらず、当時と同じ会社が今も製作しているからです。この会社はガス灯の普及ととも発展してきた、まさにパリ街灯の歴史そのものといえます。
 

現代の電灯へ
 

そして19世紀末、ついに電灯が登場し、第一次世界大戦後にガス灯の歴史は幕を閉じることになります。郷愁の光であったガス灯でさえ、パリの街から消えてしまいました。しかしガスを送り込んでいた灯柱はそのまま電灯にも利用されたため、パリの景色は変化せずにすみました。パリが今でもその昔の美しさを保っているのはそのためです。光の都パリは闇から生まれ、今でもかつての光を私たちに与えてくれています。
 

パリの家の光
 
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アパルトマンの窓
 

また街灯とともにパリの光の象徴になっているのが、アパルトマンの窓にぽつぽつと灯る小さな光。この温かな黄色い灯りは、そこに人間の生活があることを私たちに教えてくれます。パリは部屋でも白熱灯を使っている家庭が多く、また間接照明を使っている家が多いため、外に漏れる明かりも柔らかく人の心を和ませるものになっています。まるで原始時代の洞窟でたかれる篝火、中世の暗闇に浮かぶロウソクのように、その明りは人間に安心感をもたらしてくれる自然の火そのものです。ただ最近では経済効率により蛍光灯を使う家が増えてきているようです。パリにも効率化という時代の流れがやってきたようです。
 

アパルトマンの部屋の照明
 
パリのアパルトマンの照明はほとんどが白熱灯の間接照明。日本のように天井から蛍光灯で部屋全体を明るく照らすことはありません。それはフランス人(欧米人)の瞳孔が光に弱いためでもありますが、なにより間接照明で部屋の一部のみ明るくすることにより、影と闇を残すためです。そうすることにより闇の中に灯りがあることが意識され、全てを明るくする蛍光灯より光を身近に感じることができます。それはまた部屋の光をより美しく見せる生活芸術でもあります。パリのブティックでも照明は同じく間接照明を使っているところが多いです。影やシルエットはお店を美しく見せてくれる魔法の演出。夜のパリが美しいのは、そんなブティックの一つ一つが美術館のように照明をうまく利用しているからですね。逆に日本のようなコンビニがないのも、無駄に明るい光を嫌うフランスの感性のためかもしれません。日本でも最近間接照明が流行っていますが、歴史の長いパリジャンの照明センスはフランス人の環境が作り上げた自然の産物です。
 
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パリの光の歴史キーワード
ランタン、パリの街灯、レヴェルベール灯、ガス灯、間接照明、白熱灯



東京出身。慶應義塾大学文学部卒。 大学時代に写真撮影を始める。2007年、パリに一年間滞在して写真を制作。 以後毎年パリへ出かけ、変化し続けるパリと変化しないパリを撮り続けている。 他にパリを舞台にした小説を書いている。

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